昨年の話になりますが、観光で訪れたリヒテンシュタイン城(Schloss Lichtenstein)
について書きたいと思います。
■リヒテンシュタイン城とは?
19世紀ドイツロマン派の作家ヴィルヘルム・ハウフが著したファンタスティックな騎士物語『リヒテンシュタイン』。その世界に憧れたヴュルテンベルク大公ヴィルヘルム・ウーラッハが1837年に建造した城が、リヒテンシュタイン城だ。切り立った岩山の上に残る14世紀の廃城を生かし、塔や居室、跳ね橋などを物語の記述に即して再現。戦災や増改築による変遷を免れていることもあり、現存する中世の城よりロマンティックな雰囲気にあふれている。
(引用元:南西ドイツバーデン・ヴュルテンベルク州観光局公式サイトより)
「妖精の城」とも呼ばれるそうです。
実際に目にした瞬間は言葉が出ませんでした。
断崖にお城を建てる技術が素晴らしいですね…!
チケットを買う際に追加でガイドツアーもつけることが可能です。
残念ながら日本語のガイドツアーはありませんでしたが
英語のガイドツアーがあり、せっかくなのでと参加することに。
城内には貴重な品々が展示されていました。(城内は撮影禁止でした)
展示品の中に日本刀があったことに驚きました。
入口から雰囲気があります。
敷地内から見下ろす景色も美しかったです。
■最後にお城の名前となっているリヒテンシュタインという名前ついて
リヒテンシュタイン家(リヒテンシュタインけ、ドイツ語: Haus Liechtenstein)は、ドイツのバイエルン・シュヴァーベン地方のドナウヴェルトを発祥とするドイツ系貴族[1]。その一族はオーストリア東部のウィーン州をはじめ、チェコのボヘミア地方とモラヴィア地方、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア北部のトランシルヴァニア地方、ポーランド南西部のシロンスク地方、スロベニアなどに分散している。
リヒテンシュタイン家の当主は代々「Fürst」(公爵または侯爵)の称号を継ぐ。それとともに、神聖ローマ帝国期の領邦国家を引き継いだ小国家であるリヒテンシュタイン公国の国家元首の地位をも継承する。(引用元:Wikipediaより)
リヒテンシュタイン家の名が初めて歴史上で使われたのは12世紀にドイツ系ボヘミア貴族のシュヴァルツェンベルク家のハインリヒがウィーン近郊にある城を築いたことを由来とする。
後にドナウヴェルトの地方貴族だったフーゴがリヒテンシュタイン城主であるシュヴァルツェンベルク家ハデリヒの娘と結婚して、相続してリヒテンシュタイン城の城主となり、その居城の名をとって家名としたのに始まっている。以来、リヒテンシュタイン家は諸侯の資格をもたない下級貴族ながらも、神聖ローマ帝国(ドイツ)の一部であったオーストリア地方北東部にあるドナウ川上流流域にあるニーダーエスターライヒの一部などの領主家として継続した。(引用元:Wikipediaより)